life:: 死はこんな風に片付けられる。
祖父が死んだ。
子供の頃、死が怖かった。
自分の死も怖かったけれど、身近な人の死はもっと怖かった。
死んだらどうなるのか、わからなかったから。
ドラマや映画の中で見る死は、切なく美しく、とても悲しかった。
実際は、人が死ねばすぐに葬儀屋さんがやってきて、日取りを決めたり、棺を選んだり、人に知らせたり、お金の相談をしたり、悲しむひまもない。
葬儀が始まれば、つぎつぎと参列者がやってくる。
たった数日のうちに、どうやってこれだけの人に知らせたのかと思う。
僧侶の上げる経を聞きながら、親族らしく頭を下げる。
葬式がやたらに形式ばっているのは、忙しくさせて悲しみを減らす仕組みなのかと思う。
悲しみを呼び起こすのは、人が故人を語る言葉だけ。
はじめて身近な人の死に接したのは、叔父の葬式だった。
変な化粧をされた叔父の棺をのぞくのが怖かった。
火葬場で、叔父が骨になって出てくるのを待った。
もうこれで生身の姿を二度と見ることはないのだと思うと不安になった。
けれどすべてが終わったとき、なんだかちょっと安心していた。
死はこんな風に片付けられるのだな、と思った。
こんな風に終わるのだと知っていたら、そんなに怖くないのだと思った。
死は死者にだけふりかかるものではない。
生きている人からも何かを奪っていく。
火葬場で、祖父が骨になって出てくるのを待った。
叔父のときと同じように、骨はけっこう残っていた。
叔父のときと同じように、係員が淡々と説明をしていた。
「みなさんよく喉仏というのは喉にあると思ってらっしゃいますが、実はこれは第2頚椎で…」
覗き込んで聞いていたら、骨粉を吸い込んでくしゃみをしてしまった。
やっぱり死はこんな風に片付けられるのだな、と思って、少し安心した。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)

最近のコメント